お笑いコンビサンドウィッチマンの初めてのロサンゼルス公演に行ってきました!
結論としては、最高でした。
この日はアメリカ人の夫の誕生日だったので、誕生日プレゼントとして夫婦二人で公演に行きました。
夫は日本のお笑い芸人は全く知らないのに、なぜかサンドウィッチマンだけは昔から大好きなんです!だから夫の誕生日にこの公演に行くことを決意しました。
今回は、サンドウィッチマンの初のLA公演はどんな内容で行われたのか、実際に行ってみて感じたことなどをレビューします。
初のLA公演
なんと、チケットは発売して即完売してしまったとのこと!
公演はロサンゼルス国際空港から南にあり、日本人が多く住む町トーランスにあるJames R. Armstrong Theatreで2024年11月29日に行われました。
チケット価格
購入場所 | 大人 | 学生 |
---|---|---|
アメリカ | 70ドル | 45ドル |
日本 | 11,000円 | 7,000円 |
観客は日本人のみではなく、日本語を勉強中のアメリカ人などもいました。
この公演のためにサンフランシスコから車で5時間運転してきた方、飛行機でカナダや日本、アメリカ東海岸のノースカロライナ州やフィラデルフィア州から来た方もいました。
公演の内容
まずはアメリカのスタンドアップコメディのように、お客さんを交えながらの会話から公演はスタート。
会話内では「みなさん、人間ドックに行きましょう」と伊達さんのガンや富澤さんのポリープの経験談を交えた、明るい注意喚起も入ったり。
内視鏡検査を同じ日に予約して、同じ部屋で受けたそうなんですが…仲良すぎませんか?!笑
他には、伊達さんがベニスビーチが好きなことや、トーランスの有名ステーキ店サンフランシスカンで大きいステーキを食べたことも話されていました。ステーキの話は早速、富澤さんのブログで紹介されていました。
お二人はオレンジカウンティの日本食スーパーMitsuwa内にある、仙台の牛タン屋「司」で食事もしたとのことでした。この司の社長が、お二人の高校の部活の先輩なんですって。
その後、幕間VTR。お二人が衣装替えする場面のたびに、ステージ上の画面に幕間VTRが流れていました。
そのVTRの中ではサンドのお二人が若者の写真を撮るポーズを名前から予想したり、ヨガやヘッドマッサージグッズ等の新しいことにチャレンジしたり。
富澤さんが電話相談員で、伊達さんがお悩み相談をする側のコントもありました。伊達さんがボケて、面白いくだらない悩みを相談して、富澤さんが回答するという内容でした。
そして、コント。伊達さん演じる「萬みきお」が登場し、会場は大盛り上がり。萬みきおと書かれた手書きの横断幕やうちわを持ってきているファンに伊達さんが感動されていました。
また、この日のために英語のショートコントも用意されていました。
内容はCDショップとジョーズの2本。英語をどうしても覚えられなかったお二人のためにカンペが用意されていましたが、カンペを読みながらとは思えないスムーズな流れでした。
公演の最後に漫才、その後はプレゼントの抽選会がありました。
スタッフやお二人が着ている非売品のツアーTシャツやサイン入りのドジャースの野球ボール等が景品でした。
このTシャツがとてもかわいくて。50歳の二人と大谷翔平選手をかけて50/50の数字と野球ユニフォーム姿のサンドのお二人がプリントされていました。
一通り抽選が終わったあと、お客さんの反応を見ながら「これじゃあ少ないよな?」と伊達さん。
急遽、裏から東北魂Tシャツや非売品のツアーTシャツが追加され、さらに抽選が行われました。
今回、来場者には特別にサンドウィッチマンのライブツアー2024 LAと書かれたステッカーがプレゼントされました。サイズやキラキラ具合が、びっくりマンチョコに入っているシールみたいでかわいかったです。
公演の感想
私個人的には、コントや漫才も面白かったのですが、はじめのお客さんを交えながらの会話が一番好きでした。お客さんの発言を面白く切り返していくだけではなく、その人を気に掛けるようなことも言う感じが、お二人の優しい人柄を感じました。
あとは、コント内で伊達さん演じる「萬みきお」の歌に「トーランス」や「コンプトン」など、ロサンゼルスならではの地名が入っていたこと。スキッドロウやベニスビーチも話の中に織り込まれていて、ロサンゼルス公演ならではの内容が見れて嬉しくなりました。
アメリカ人の夫は、幕間VTRの電話お悩み相談コントが一番面白かったとのこと。
日常会話は問題なくできるレベルの彼にとっては、内容はほどんど理解できたようで、夫婦二人で日本のお笑いを楽しめる貴重な時間となりました。
公演中はずっと笑っていたのですが、一番初めにサンドウィッチマンが登場したとき、色んな感情がこみあげてきて、涙がこぼれそうになったんです。
なぜなら、私は宮城県仙台市出身で、南三陸町で生まれたから。
忘れられない、あの日
2011年3月11日、14時46分。
私は仙台市の内陸部の実家にいました。
実家があるマンションの11階、弟と二人で被災しました。
建物が折れてしまうのではないかと思うくらい横に揺れ、「どうか折れないで、どうか崩れないでくれ」と心で何度も唱えていると揺れは収まりました。
小さい頃からいつか来ると言われていた、宮城県沖地震がついに来たのだと実感しました。
あんなに揺れたのだから、このマンションが崩壊してしまうかもしれない。弟と現金や着替え、少しの食料などをカバンにつめて、近くの中学校へ向かいました。
中学校は緊急時に避難所になるから、何かあったらこの中学校で落ち合おうと家族で決めていたからです。
当時は母と弟と私の3人暮らし。車で30分ほどの距離で働いていた母もその中学校に来てくれると確信していました。
中学校では近くの保育園の園児と先生や、近所の人がすでに多く集まっていました。学校が用意してくれたいくつかのストーブを丸く囲うように、みんなパイプ椅子にじっと座っていました。
初対面のご近所さんと、今後はどうなるのかなと会話をしたり。その中で特に不安そうにしていたおばあちゃんに、私が持っていたチョコを少しあげたんです。
「こんな時にチョコを食べると心が落ち着くね、ありがとう」と言われたことが忘れられません。
数時間後、無事に母と中学校で落ち合うことができました。その後は市の体育館へ移動し、体育館の長椅子で一晩過ごしました。
津波のことを知ったのは、2日後だったと思います。叔母の家で新聞を見ました。
携帯電話の充電を減らさないために、ネットニュースなどはあまり見ていませんでした。もしかしたら、現実を知るのが怖くて、わざと目を背けていたのかもしれません。
祖父母が住んでいる母の実家は、南三陸町。彼らの無事が確認できたのは、震災から数週間経ったあとでした。
家は津波で流されてしまいましたが、地震が起こった時は運よく二人は自宅にいませんでした。
祖父は隣町の病院にいました。祖母は趣味の集まりで南三陸町では珍しい4階建ての建物の高野会館におり、屋上に避難して無事でした。自衛隊のヘリコプターで救助されたとのことです。
数週間も連絡が取れない祖父母を探していた親戚が避難所にいる彼らを見つけてくれました。
祖父母が無事だったことを知ったときは、嬉しくて叫びながら泣きました。
きっとダメだろうと思っていたから。
奇跡的にうちの家族は全員無事でしたが、友人や知り合いには辛い思いをした人がたくさんいました。
家族が津波で流されてしまった人。自宅が流されてしまった人。津波から逃げて、歩道橋の上で一晩過ごした人。津波から避難している建物の中で、流れていく全てを見ていることしかできなかった人。
色んな方の辛い思いをたくさん聞いてきました。
そのためか、当時東京に住んでいる芸能人がテレビで被災地支援について話している内容に違和感をもつことが多かったんです。
しかし、サンドのお二人は違いました。ご本人たちも気仙沼で被災されており、被災地の現状や今何が必要とされているかをしっかり伝えられていました。
震災後もこの出来事を忘れないようにネット記事やテレビで発言されたり、被災地支援をされているお二人に感銘を受け、同じ宮城県民としてありがたく感じていたんです。
アメリカから故郷を想う
その後、私は2015年にアメリカに移住。アメリカにいながら、彼らが震災について発信している記事をたくさん読んできました。
そのたびに、震災当時を思い出し、故郷の宮城県を思い出すことができたんです。
例えば、以下の2021年の週刊エコノミストオンラインの記事
富澤 震災から1年後ぐらいに被災地で、お会いした女性が「ペットを亡くしたことをずっと話せなかった」と打ち明けてくれた。「自分よりひどい思いをした人がいっぱいいる、家族を亡くしたり」と。そうやって互いに話せなくなるんだと。
時間がたち、少しずつ話せるようになってきたかもしれませんが、心にしまってきた人が多い。どこかで吐き出さないといけないんじゃないか。それが課題じゃないでしょうか。僕らみたいな地域外の人や、ボランティアの人には話せるかもしれませんね。
震災後、「私より辛い思いをした人がいるから、私のことは話さないでおこう」と心の傷を内にしまっている人は多くいました。私もそのひとりでした。
このような発信をできるのは、サンドウィッチマンのお二人だからだと思います。
一時帰国で仙台に帰ると、駅や街中で見かけるお二人が出ている広告を見ては、地元を盛り上げてくれてありがたいなとも感じていました。
そんな彼らをロサンゼルスで見れていることが嬉しくて、嬉しくて。
簡単ではなかったアメリカ生活。勇気をもらえた、感謝している彼らに会えて、感動して泣けてきてしまったんです。
まとめ
今回の公演は、テレビ朝日で後日配信されるようです!
いつかお二人に直接お会いできるなら、いつも東北のこと、地元宮城県のことを発信してくれていたから、遠く離れたアメリカにいても故郷のことを想うことができましたと感謝を伝えられたらいいなと思います。
来年、家族でアメリカから仙台に引っ越す予定なので、仙台で行われるツアーにも参戦してみたいと思っています!